レアル・マドリー(別名:レアル・マドリード)は、多くの監督がチームを率い、それぞれの個性と戦術でクラブの歴史に新たなページを刻んできました。
ここでは、2000年以降のレアル・マドリーの歴代監督たちと、その時代のエピソードを振り返ってみましょう。
- ビセンテ・デル・ボスケ(1999年–2003年)
- カルロス・ケイロス(2003年–2004年)
- ホセ・アントニオ・カマーチョ(2004年)
- マリアーノ・ガルシア・レモン(2004年)
- ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ(2004年–2005年)
- フアン・ラモン・ロペス・カロ(2005年–2006年)
- ファビオ・カペッロ(2006年–2007年)
- ベルント・シュスター(2007年–2008年)
- フアンデ・ラモス(2008年–2009年)
- マヌエル・ペジェグリーニ(2009年–2010年)
- ジョゼ・モウリーニョ(2010年–2013年)
- カルロ・アンチェロッティ(2013年–2015年)
- ラファエル・ベニテス(2015年–2016年)
- ジネディーヌ・ジダン(2016年–2018年, 2019年–2021年)
- フレン・ロペテギ(2018年)
- サンティアゴ・ソラーリ(2018年–2019年)
- ジネディーヌ・ジダン(2019–2021年)
- カルロ・アンチェロッティ(2021年–現在)
ビセンテ・デル・ボスケ(1999年–2003年)
1999年に監督に就任したビセンテ・デル・ボスケは、クラブの黄金期を築きました。
彼の指導の下、レアル・マドリーは2000年と2002年にUEFAチャンピオンズリーグを制覇し、国内リーグでも成功を収めました。
興味深いエピソードとして、デル・ボスケは選手たちから「ビッグ・マウス」と呼ばれていましたが、実際には非常に控えめで、メディア対応も穏やかだったことが知られています。
カルロス・ケイロス(2003年–2004年)
2003年、アレックス・ファーガソンのアシスタントを務めていたカルロス・ケイロスが監督に就任しました。
彼の在任中、レアル・マドリーは「銀河系軍団」として多くのスター選手を擁していましたが、成績は期待に応えられず、1シーズンで退任しました。
ケイロスは、選手たちに対して「サッカーは芸術だ」と説き、戦術よりも創造性を重視する姿勢を見せていました。
ホセ・アントニオ・カマーチョ(2004年)
2004年、元レアル・マドリーの選手であるホセ・アントニオ・カマーチョが監督に就任しました。
しかし、わずか数週間で辞任し、クラブ史上最短の在任期間となりました。
彼は、選手たちのプロ意識の欠如に失望し、「このチームでは勝てない」と語ったとされています。
マリアーノ・ガルシア・レモン(2004年)
カマーチョの辞任後、マリアーノ・ガルシア・レモンが暫定的に指揮を執りました。
彼はクラブの元ゴールキーパーであり、コーチングスタッフとしても経験豊富でしたが、短期間での指揮となりました。
ガルシア・レモンは、選手たちに「楽しんでプレーしろ」と指示し、リラックスした雰囲気を作ろうと努めました。
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ(2004年–2005年)
2004年末、ブラジル人のヴァンデルレイ・ルシェンブルゴが監督に就任しました。
彼は「マドリー・システム」と呼ばれる独自の戦術を導入し、攻撃的なサッカーを展開しましたが、結果が伴わず、2005年末に解任されました。
ルシェンブルゴは、試合中にガムを噛む姿がトレードマークで、選手たちから「ガムおじさん」と親しまれていました。
フアン・ラモン・ロペス・カロ(2005年–2006年)
2005年12月、レアル・マドリーのBチームであるレアル・マドリード・カスティージャの監督を務めていたフアン・ラモン・ロペス・カロが、トップチームの暫定監督に昇格しました。
彼の指導の下、チームはリーグ戦で2位に入り、国王杯ではベスト8、チャンピオンズリーグではベスト16の成績を収めました。
しかし、シーズン終了後に退任し、後任にはファビオ・カペッロが就任しました。ロペス・カロは、選手たちとのコミュニケーションを重視し、特に若手選手の起用に積極的であったことが知られています。
彼の在任期間は短かったものの、クラブの過渡期において重要な役割を果たしました。
ファビオ・カペッロ(2006年–2007年)
2006年、イタリア人のファビオ・カペッロが再びレアル・マドリーの監督に就任しました。
彼の指導の下、チームは2006-2007シーズンにリーガ・エスパニョーラを制覇しましたが、守備的な戦術が批判され、シーズン終了後に解任されました。
カペッロは、選手たちに対して「ディフェンスが勝利をもたらす」と繰り返し説き、守備の重要性を強調していました。
ベルント・シュスター(2007年–2008年)
2007年、ドイツ人のベルント・シュスターが監督に就任しました。
彼の指導の下、レアル・マドリーは2007-2008シーズンにリーガ・エスパニョーラを制覇しましたが、翌シーズンの成績不振により解任されました。
シュスターは、試合前の記者会見で「今日は勝てないだろう」と発言し、物議を醸したことがあります。
フアンデ・ラモス(2008年–2009年)
2008年末、スペイン人のフアンデ・ラモスが監督に就任しました。
彼はシーズン途中からの指揮でしたが、チームを立て直し、リーグ戦での連勝記録を更新しました。
しかし、バルセロナとの「エル・クラシコ」での大敗が響き、シーズン終了後に退任しました。
ラモスは、選手たちに「勝利のためには犠牲が必要だ」と説き、ハードワークを求めました。
マヌエル・ペジェグリーニ(2009年–2010年)
2009年、チリ人のマヌエル・ペジェグリーニが監督に就任しました。
彼の指導の下、レアル・マドリーはリーグ戦でクラブ史上最高の勝ち点を獲得しましたが、バルセロナに及ばず、シーズン終了後に解任されました。
ペジェグリーニは、試合中に冷静な表情を崩すことがなく、「冷静な紳士」として知られていました。
試合中の表情がほとんど変わらず、選手からも「氷の監督」と呼ばれていたそうです。
彼のスタイルは、控えめでありながら戦術に優れており、実は試合後には一人で戦略ノートにメモを取り、次の試合のための研究を欠かさなかったと言われています。
ジョゼ・モウリーニョ(2010年–2013年)
2010年、ポルトガル人のジョゼ・モウリーニョがレアル・マドリーの監督に就任しました。
すでにインテルでのトレブル達成などで世界的な名声を得ていた彼は、レアルでも強い影響力を持ちました。
モウリーニョは2011-2012シーズンにリーガ・エスパニョーラを制覇し、クラブの宿敵バルセロナに対抗する「クラシコの戦い」を激化させました。
彼の特徴的なエピソードといえば、記者会見での辛辣なコメントや、試合中のパフォーマンス。
特にバルセロナ戦で指揮をとっていた際、相手コーチの目を突くという「ピッチ外での戦い」も行い、世間の注目を浴びました。
モウリーニョは、そのカリスマ性と勝利への執念でチームに刺激を与えた一方で、対立も多く、2013年に退任しました。
カルロ・アンチェロッティ(2013年–2015年)
イタリア人のカルロ・アンチェロッティが2013年に監督に就任すると、すぐにクラブに安定感と結果をもたらしました。
2013-2014シーズンには、レアルが長年待ち望んだ「ラ・デシマ」(チャンピオンズリーグ10回目の優勝)を達成し、ファンからも「穏やかな指導者」として愛されました。
彼の人柄に関するエピソードとして、選手たちに厳しさと優しさをバランスよく与え、「監督というより、父のような存在」として慕われていたといわれています。
ラファエル・ベニテス(2015年–2016年)
アンチェロッティの後を引き継いだのが、スペイン人監督ラファエル・ベニテスでした。
レアル・マドリーの下部組織出身であった彼は、戦術に強いこだわりを見せましたが、選手との信頼関係が築けず、チーム内の雰囲気は悪化してしまいます。
有名なエピソードとして、選手たちに詳細な戦術ノートを渡して指示を徹底させた一方で、スター選手からの支持を失い、短期間で解任される結果となりました。
ジネディーヌ・ジダン(2016年–2018年, 2019年–2021年)
2016年、元レアル・マドリーの選手であり、クラブの象徴的存在でもあるジネディーヌ・ジダンが監督に就任しました。彼の指導の下、レアル・マドリーはチャンピオンズリーグを3連覇する快挙を成し遂げ、ジダンは一躍「伝説の監督」となりました。
ジダンは選手時代からの尊敬を受けており、特にクリスティアーノ・ロナウドとの信頼関係がチームを強くしました。
ジダンはあまり感情を表に出さないタイプですが、選手たちに「ピッチでは自由にプレーしてほしい」というメッセージを伝え、自らの信念をシンプルな言葉で表現したことで知られています。
フレン・ロペテギ(2018年)
2018年、スペイン代表監督だったフレン・ロペテギがレアル・マドリーの監督に就任しました。
ワールドカップ直前に監督契約が発表され、スペイン代表から電撃解任されたことで大きな話題を呼びました。
レアルでは期待されてのスタートでしたが、成績が伸び悩み、わずか数か月で解任されました。
ロペテギにとって、代表からの解任からわずか数か月でまたクラブでも解任されるという波乱の年となりました。
サンティアゴ・ソラーリ(2018年–2019年)
ロペテギの解任後、クラブのレジェンドでもあるサンティアゴ・ソラーリが暫定監督として指揮を取りました。
その後、シーズン途中ながら正式な監督契約を結びましたが、クラシコやチャンピオンズリーグの試合で敗北を重ね、シーズン終了前に解任されました。
ソラーリは若手選手の起用を積極的に行い、特にヴィニシウス・ジュニオールを一躍トップチームの重要な存在に押し上げたことが彼の功績です。
ジネディーヌ・ジダン(2019–2021年)
ジダンは2019年に再びレアル・マドリーの監督に復帰し、クラブを立て直しました。
彼のリーダーシップのもとで、クラブは2019-2020シーズンにリーガ・エスパニョーラを制し、ジダン自身も「クラブと共に生きる監督」としてファンから再び愛されました。
カルロ・アンチェロッティ(2021年–現在)
カルロ・アンチェロッティは2021年に再びレアル・マドリーの指揮を執ることになり、ベテランと若手の調和の取れたチームを作り上げています。
彼の柔軟な戦術と経験に裏打ちされたリーダーシップは、再任後も続いており、2022年にはまたしてもチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げました。